よなごってどんなとこ?
山陰 “旅” の玄関口・米子
~ココを舞台に感動のドラマがスタートします~
鳥取県の西の玄関口にあたる米子市は、山陰本線、伯備線、境線と3つの路線を結ぶ鉄道をはじめ、東京、そしてお隣り韓国へとナビゲートする米子鬼太郎空港、米子道・山陰道が通る、まさに交通の要衝。“山陰の旅は米子から”。
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旅のお宿は、海に湧く名湯・皆生温泉へ
~湧出量は山陰屈指 名だたる名宿が非日常の時間をお届けします~
[歴史について]
江戸時代には、米子城の城下町として栄え、今も旧加茂川沿いには、白壁土蔵など昔ながらの街並みが現存。商都として栄えた面影を今に伝えています。さらに市の東部、淀江地区には、日本最大級の弥生遺跡・妻木晩田遺跡を筆頭に、数多くの古墳群が広がり、白鳳ロマンを体感。専門家たちの注目を一身に集めています。
[自然について]
市内は平坦で、米子平野を清流・日野川が流れ、北西部は中海と日本海に挟まれた弓ヶ浜半島、また南部は大山の裾野として丘陵地になっています。また弓ヶ浜半島からは、四季折々の衣裳に包まれた大山の雄姿を眺めることが可能。
[特産品について]
大山に、中海、日本海など豊かな自然に恵まれた米子には、数多くの名産品が存在します。海の幸に、地野菜、商都の歴史にふさわしい老舗の和菓子、お茶などなど。ほか、匠の技による弓ヶ浜絣、和傘といった伝統工芸にも注目。手作りの風合い伝わる逸品が残されています。
[地名の起源について]
その昔、跡継ぎの子がないことに悩んでいた一組の長者夫婦が、賀茂神社へと繰り出し、子が授かるよう拝んでいました。月日が経ち、ダメだと諦めかけたその時、何と長者が八十八歳にして、奥さんが子を身ごもったのです。「八十八の時に子が出来た」ということで、この場所を「八十八の子」、そう「米子」と呼ぶようになったのだそうです。