感応寺
城山を見渡す場所で静かに眠る米子城主・一忠の菩提寺
徳川家康は、関ヶ原戦の論功として、慶長五年に駿河城主中村一氏の子である十一歳の中村一忠を、三万石加増して十七万五千石米子城主に任じた。
後に米子騒動もあり、城主一忠は慶長十四年(1609年)五月十一日に二十歳で急逝し、二人の侍臣と共に感応寺に手厚く葬られた。
所在地鳥取県米子市祇園町1-89電話0859-22-4882駐車場ありアクセス米子駅より徒歩約15分