米子観光ガイド

尾高城跡

令和5年11月に国史跡に指定された米子にあるもう1つの名城!山陰屈指の梅の名所としても知られています!

早春には梅の花が美しく咲き誇るスポットに!
四季折々の自然を楽しむことのできる、憩いの場

尾高城跡_1

大山道路の入り口、右手にある坂道を上がっていくと「尾高城跡」へたどり着きます。
後ろに大山、前には弓ヶ浜と日本海を望む風光明媚で広大な敷地の中「尾高城跡」があり、
国の史跡に指定されています。
土塁と堀に囲まれた方形館跡、北から二の丸、本丸、中の丸、天神丸と続くこの城跡には
かつての城の立派な姿を偲ばせます。

現在ではこの一帯は、
尾高城跡梅園、桜の園、武家屋敷跡基礎復元、日本庭園、自由広場、体育館、テニスコート、ゲートボール場、宿泊施設など、
四季折々の自然を楽しむことのできる、憩いの場として整備されています。

特に、早春には梅の花が美しく咲き誇るスポットに!
美しい梅の花を一目見ようと、遠方からわざわざ足を運ぶ人も少なくありません。

かつて尾高城は、室町時代の西伯耆で、東西の交通路を押さえる軍事上の要衝でした。
その後戦国時代には、「行松氏」累代の居城に。
やがては尼子方の武将「吉田光輪」が代わって城主となります。
その後、毛利方の武将「杉原播磨守盛重」が伯耆因幡制覇の際に転城し、要害となりました。

「我に七難八苦を与えたまえ」の名言を残した、尼子方の武将・山中鹿之助は、
この城の虜因となり、数十回の厠通いで兵士の油断を誘い
汲み取り口から逃げ出したという逸話も残っています。

江戸時代初期には、米子築城を受けて尾高城は廃城となりました。
しかし、後の米子城主「中村一忠」は米子城完成までこの尾高城に在城していたといいます。

令和5年11月に国史跡に指定されました。

国・市指定史跡 尾高城跡(米子市ホームページ)

所在地 鳥取県米子市尾高2377
電話 米子市経済部文化観光局文化振興課 0859-23-5436
駐車場 あり
アクセス JR米子駅から車で15分
米子自動車道米子ICより車で3分

Google Maps

Googleマップを表示できませんでした。