県道の左右に鳥居が立つ珍しい光景 かつて鳥取藩の崇敬を受けた「富益神社」
かつて鳥取藩の崇敬を受けた「富益神社」。
まず、目を引くのが県道の左右に分かれて立っている鳥居です。
明治20(1887)年、「県道外浜線」の建設により境内が東西に二分されたことで、現在でもこのような姿になっています。
この神社に伝わる御由緒によると、江戸時代中期の宝永5(1708)年、この「富益」の地に開拓者たちが移り住んできました。その際、ここにあった古木を荒神として讃え、産土神として祀ったのが「富益神社」のはじまりだと言われています。
その後、江戸時代末期の安政5(1858)年、伊勢神宮の御分霊を勧進し、「富益大神宮」として鳥取藩から崇められるようになりました。
やがて、明治時代には「富益神社」と社名を改め、現在に至っています。
所在地 | 鳥取県米子市富益町936番地 |
駐車場 | あり |
アクセス | JR米子駅より車で20分 |